良い夜を待っている

読んだ本の感想など。最近はPodcastで配信しています。

“良い夜を待っている”

アステリオンの旅行鞄:はじめに

この地球上に「国」はいくつあるのか。

 

外務省のデータでは日本を入れて196ヵ国。でもこれはあくまで「日本が認めた国の数」であって、その他の独立国や地域などを入れると206ヵ国。そしてそれらもどこまでを「国」とするのかで変わってくる。このデータを見たとき感じたのは「意外と少ないな」ということ。こんなにも広く、遠く感じる地球の様々な地域は、(それが良いことなのかは、判断できないけれどとりあえずの便宜上)分断されてしまうとたった206個の区切りでしかない。

 

私自身はお恥ずかしながら、日本を出たこともなく外国語が得意なわけでもなく、世界のことなんかほとんど何も知らない。それでもたくさんのことをまだまだ知りたいし、知らない文化にも、歴史にも触れたい。見たい聞きたい触りたい嗅ぎたい食べたい。その足がかりとして思いついたのが「世界の国々の文学を、1ヵ国ずつ読んでいこう」というもの (多くの人が同じことをやっているようではあるが、そこは気にしても仕方がないから無視))。 

 

ただこの「国」という区切りはとても難しい問題を孕んでいる。何をもって「その国の作家」とするのか。母語で書いていればよいのか。その国の出身であればよいのか。母語を失い、亡命国で亡命先の言語を使わざるを得なかったアゴタ・クリストフ、中国出身で中国の物語を書くけれど母語では書かないイーユン・リー、日本人だけれどドイツで主に活動し、言語のあわいを書き続ける多和田葉子、それらの作家はどの国に「属する」のか。そもそもその作家たちを特定の国に「属する」と断じて良いのか。「この国の作家」と定義してしまうことで作家を、作品を、その可能性を勝手に狭めてしまうのではないか。「国」という単位を足がかりとすることで逆に視野が限定されてしまうのではないか。 

 

これらの問いに対する答えは、いまの私には出せなかった。この先も、明確な答えは出せないと思う。本当は世界に、そしてヒトに区切りなんて無いほうが良いのかも知れない。世界を、ヒトを、区切ることで起きてきたさまざまな差別や弊害を思うと胸が苦しくなる。でも、やはり境界はどうしたって存在してしまう。だって使う言語の違いだけで、身体が存在するだけで、それは境界になり得てしまう。

 

だから私は、これらの問いに答えを出すんじゃなくて、この試みにチャレンジすることで、境界線上を行ったり来たりしながら、時にはとんでもない方向に吹っ飛ばされながら、予期せぬ穴に落ちながら、その周辺が生み出す文化に触れていこう。できればきちんとその「区切り」が持つ危険性を注視しながら。「区切り」によって阻害されてしまったもの、封じ込められてしまったもの、もしくはそこから新たに生まれたもの、それらが発露するのはおそらく文学をはじめとした「芸術」なのだと思うから(このあたりは不勉強だから、もう少しきちんと社会学なりなんなりで知識を深めないといけない)。そして、最終的に「区切りなんて、あるけど、なくて、とにかく世界にはたくさんの芸術があって、それらはなんて素晴らしいんだ、もっともっと触れたい!」という素朴な結論に至りたい。 

 

そう、言ってしまうと、ただそれだけの、小学生の夏休みの宿題レベルの、素朴な動機。 

要するに、とりあえず好みの問題を取っ払って、先入観も抜きにして、いろんな「ヒト」の生み出す文学に触れていくぞ!ッシャオラ!その道標はとりあえず「国」にしとくか!この線路に沿っていけば色々見つかるやろ!たくさん読んで好きな作品に出逢えたら良いよねそしてそれをシェアできたら良いよね!てこと。 

 

なんだか言い訳みたいになってしまったけれど、この試みの目的はとにかくそういうことであって、これを成し遂げたからといって世界を知った気になるなよという自戒も込めて、前書きを書いた次第。 

 

タイトルの「アステリオン」はギリシャ語で「小さな星」という意味。猟犬座の北側の犬の名前。ちなみに南側の犬はカーラといって、「かわいいもの」という意味なんだそう。たいして深い意味は無いけど、素敵だし語感も良いのでタイトルにした。

なんでこの言葉を知ったかというと、この曲がとても好きだから。

 

ということで、私はこれから、旅に出る。