良い夜を待っている

読んだ本の感想など。最近はPodcastで配信しています。

“良い夜を待っている”

『アメリカ 非道の大陸』多和田葉子

 

『容疑者の夜行列車』同様、二人称短編(連作?)小説。
多和田葉子の小説は続けて読むと多和田葉子酔い(?)するので一気に複数冊は読めないのだが、この作品は比較的軽めなので続けて読んでも大丈夫そう。
「あなた」がアメリカ各地を旅していくのだが、行動をともにするのはよく知らない人たちばかり。関係性が密になることはほとんどなくて、よそよそしさや他人行儀な雰囲気が常にある。でもその微妙な距離感が心地よいような少し不快なような、ふわふわとした不思議な浮遊感がある。

 

出てくる比喩がいちいち面白くて腑に落ちすぎて、うんうん頷きながら読んだ。

 

例えば入国審査が終わって外に出るときのシーン。

 

 

やっと質問の鎖は切れ、向こう側の世界に脚を踏み入れる。さっと空気が変わったように感じる。肩にのしかかっていた重力が消えて、足が軽くなる。空気は充電されていて、それでいて呼吸しやすい。
p.11「スラムポエットリー」

 

「空気が充電されている」っていうの、めちゃくちゃ分かりませんか!?酸素が濃いというのとはまた別の、ギュンと呼吸ができるあの感じ。解き放たれた清々しさも相まって、肺がすっと満たされるようなあの感じ。

 

例えばポエトリー・リーディングの会場で、「もしも金があったら」とうたう詩人の声に耳をすませるとき。

 

 

リズムを刻むためだけに繰りかえされるフレーズ。それは呪いの歌のように無気味な低音を保ちながらも、怨みはナンセンスの中で破裂し、空にばちばち火を吹いては消える壊れた電線のように、あなたの目を遠くに近くに引き寄せ、あなたがいっしょに本当に金が欲しい金が欲しいと恥を捨てて床に跪き空に向かって腕をひろげる気持ちにさせられてしまった頃には、あまりにも頻繁にくりかえされた「金」という単語の普通の意味はもう失われているのだった。
p.20「スラムポエットリー」

 

「目を遠くに近くに引き寄せ」というのは詩を読んでいるとよく体験する感覚で、繰り返される言葉が飽和して意味をなさなくなっていく様子もこんなにも鮮やかに描かれるとさすがやなと感服する。

 

その他にも飛行機を「巨大なさんま」と称したり、マナティのことを「始まりと終わりが丸くしぼまって、よくできたうんこのような形をしている。これが体内から出てきやすいかたちなのだろう」と真顔で言ったりしていてニヤけてしまう。砂漠の気候に慣れることができるのかという質問に「そのうち砂漠があなたの中に浸透してきますよ」という答えが返ってくる、というのも良かったな。砂で身体が満たされた暁には、今よりも軽く動けるのだろうか。水はとても重たいから。

 

タイトルの「非道」という意味はどういうことだろう、と最後までよく分からなかったけれど、辞書にある「極悪非道」とか「専門外」というよりは、「少し道から外れてしまった、道なき道をゆく」というような意味なのかな。「あなた」の旅程はまっとうなアメリカ横断ルート、ではあるかもしれないが、その描かれ方はすこしルートからズレている、そのズラし方が多和田葉子だなあと感じさせるところな気がするから。

 

アメリカ―非道の大陸

アメリカ―非道の大陸