3〜4年前くらいからだろうか、ホロコーストに関する本を細々と読み続けている。理由は世界でもおそらく最も有名な大虐殺の歴史だということ、その歴史を踏まえた文学作品が数多くあり、歴史を学ぶことでよりそれらへの理解を深めたいという気持ちがあったからだ。恥ずかしながらナチスといえばアウシュビッツ収容所、くらいの知識しかなく、本当に早く勉強しておけばよかったなと後悔している。まあ、悔やんだところで何も変わらないので、これからゆっくりでも読み続けていくしかない。歴史を繰り返してはいけない、で思考停止しては意味がないと思うから、常に学び直し、問い続ける姿勢を持っていたい。
本書は20世紀なかば、ナチスとソ連の政権がポーランド中央、ウクライナ、ベラルーシ、バルト諸国、ロシア西部で行った大虐殺の歴史を紐解いている。著者はこの地域を「流血地帯(ブラッドランド)」と呼ぶ。
この地域で行われた戦争犯罪を軸に、ナチス・ソ連の政権誕生から台頭、第二次世界大戦、その「最終解決」、そしてその後のアメリカはじめ主要国の動向までを時系列に沿って追うことができる。
驚いたのは、銃や有名なガス室というだけでなく、「飢餓」がかなり多くの人間を殺していたということ。死亡者の数でいうと餓死>銃殺>ガス殺。殺戮工場としての収容所についての印象が衝撃的なこともあるが、ガス殺についてしか知らない人も多いのではないだろうか。私もそのひとりだ。
ソヴィエト・ウクライナでは食糧分配も当局が「資格を与えた」者のみに行われ、農民たちは、栄養失調で膨れた腹をかかえ、自身では食べられない穀物を作り続けていたのだ。人々はバタバタと死んでいき、もちろん、人食も行われた。子どもたちが、先に死んだ子どもを食べ、家族内でも人食は避けられなかった。
「(・・・・・・)ある日のこと、子供たちが休に静かになったので、どうしたのかと振り返ってみると、ペトルスという名のいちばん幼い子をみんなで食べていたのです。皮膚を剥がしては口に運んでいました。ところがペトルスも同じことをしていました。自分の皮膚を引っ掻いて剥いで、できるだけたくさん食べようとしていたのです。ペトルスの傷に口をあてて血を吸っている子もいました。わたしたちはペトルスをみんなから引き離し、声をあげて泣きました」
上巻 p.101
ドイツでも戦争捕虜収容所で、ソ連と同様に、饑饉計画が実行されていた。
どの収容所でも捕虜たちは、草や樹皮やマツの葉など、なんでも手当り次第に食べた。犬が撃ち殺されないかぎり、肉を口にすることはできなかった。たまに馬肉を食べるチャンスに恵まれる者もいた。捕虜たちは調理器具を舐めようとして競い合い、ドイツ人の警備兵たちはそれを見て笑っていた。カニバリズムがはじまるとドイツ人はこれこそソ連の文化レベルが低い証拠だと決めつけた。
上巻 p.281-282
ヒトラーとスターリン、目的や思想は違えど、共通しているのは自身の政策の失敗を他者(国・民族)のせいにし、国民の怒りや失望を自身や政府からそらしていたことだ。彼らの物語を確固たるものにするためだけに、多くの人が殺された。このことに既視感を覚えるのは私だけではないだろう。今の日本もこのような姿勢になってきているような気がする。ここまでの大虐殺が実行されているわけではないが、じわじわと、私たちは追い詰められている。思想を奪われ、芸術を奪われ、金を奪われ続けて。それは言うまでもなく、とても、とても危険なことだ。
流血地帯で殺害された人数は1400万人。この数字に兵士は含まれていない。そして、この大量虐殺が行われたのはたった12年の間。
1400万人、東京都の総人口数をゆうに超える数値だ。途方もなさすぎて、想像するのが困難なほど。だが、「数値」というものはインパクトがあるだけに、感情をゆさぶってくる。死者を悼む心があるからこそ、悲しみ、怒る。だからこそ、被害国はその数値を誇張したりもしていたのだ。
ヨーロッパ人は誇張した数値を繰り返し発表し、自分たちの文化の中に、存在したこともない何百人もの人々の幽霊を解き放っている。残念なことに、このような亡霊は力を持っている。犠牲の度合いを競えば、しまいには犠牲者数を盾に他者に圧力をかけるような「帝国主義」に立ちいたる恐れもある。
下巻 p.274
「数」に対しての著者の見解が結論に述べられているのだが、この姿勢を胸に刻んでおきたいと強く思う。著者の言うように、途方も無い数を「抽象的な数」として見るのではなく、ひとりひとりを思うこと、1人×1400と考えること。
死の記録はどれも唯一無比の生を――与えることはできないが――示唆する。われわれは死者の数を集計するだけではなく、犠牲者ひとりひとりを個人として扱い、向き合うことができなければならない。
下巻 p.276
ナチスとソ連の政権は、人々を数値に変えた。その中には、推定することしかできないものもあり、かなり正確に洗い出せるものもある。われわれ研究者の責務は、これらの数値をさがし出し、総合的な見地から考察することだ。そしてわれわれ人間主義者の責務は、数値を人に戻すことだ。
下巻 p.277
著者は事実を淡々と、落ち着いた筆致で書き記す。ときおり、市井の人々の名と、声が挟まれる。歴史を知ることができるのは、記録があるからだ。生き残った人々が語ったからだ。記録されることなく亡くなっていった人も、それぞれに名前があり、人生があったということを忘れてはいけない。もちろん、被害者側だけでなく、加害者も、傍観者にもだ。
アーレントとグロスマンからは、ふたつの明快な考えが導き出される。そのひとつは、ナチス・ドイツとソ連を正当に比較するには、犯罪について説明するだけでなく、関係したすべての人々――被害者、加害者、傍観者、指導者――の人間性についても検証しなければならない、ということだ。もうひとつは、死ではなく生からはじめるべきだということだ。死は解決ではなく、ひとつのテーマにすぎない。
下巻 p.245
本書には以前読んだ『収容所のプルースト』で出会ったポーランド将校のジョゼフ・チャプスキの名も出てくる。彼はカティンの森事件の数少ない生き残りだ。
また、ソ連のジャーナリスト、ワシーリー・グロスマンの作品や、ギュンター・グラスの作品も登場する。ハンナ・アーレントの論考にも触れているので、本書の前に少しでもそのあたりの作品に触れておくとより理解が深まって良いのかもしれない。
グロスマンの登場人物のひとりが声をあげて言ったように、ナチズムとスターリニズムに共通する重要な要素は、人間が人間と見なされる権利をある特定集団の人々から奪う能力を持っていたことだ。唯一の対応は、それはまちがっていると繰り返し主張することだろう。ユダヤ人もクラークも「人」なのだと。「彼らは人間なのだ。いまわたしにはわかる。わたしたちはみんな人間なのだ」と。
下巻 p.244
私たちが人間性を失わずに生きていくために、歴史を学ぶということがどれほど大切かが本書下巻の「結論 人間性」を読むとよくわかる。結論は本当にすばらしく、胸を打つ内容だ。
本書は上下巻とボリュームもあるが、巻末に要旨もまとめられており、読了後に全体の流れを復習することもできるし、かなり「読ませる」文章なので、ぐいぐい引き込まれていく。臆することなく、ぜひ読んでみてほしい。
<関連書籍>
・ホロコーストに関してはこの新書も良かった。こちらはナチス、ドイツ、ユダヤ人という観点が主となっているが非常によくまとまっていて、要所がおさえられると思う。
ホロコースト―ナチスによるユダヤ人大量殺戮の全貌 (中公新書)
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・アーレントに関しては、私はまずこの新書から入った。彼女の半生をなぞりながら、思考の軌跡も共に辿ったアーレント入門書。『イェルサレムのアイヒマン』は積んでいるので近いうちに読まなければ。
ハンナ・アーレント - 「戦争の世紀」を生きた政治哲学者 (中公新書)
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・グロスマンとグラスについては、どちらも未読なのでこのあたりから読んでみたい。
ブラッドランド 上: ヒトラーとスターリン 大虐殺の真実 (単行本)
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