良い夜を待っている

読んだ本の感想など。最近はPodcastで配信しています。

“良い夜を待っている”

『おばちゃんたちのいるところ』松田青子

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連作短編集。ひとつひとつに落語のモチーフがあるが、基本的には現代のお話。いろいろなおばちゃんたちが、若い人たちと関わりあったり、直接は関われずともエールを送ったりする、コミカルであたたかい物語。でも、おばちゃんたちは基本的には死んでいる。つまり、幽霊だ。

ここに出てくるおばちゃんたちは、とてものびのびしている。痛ましい死に方をしても、あっけらかんとして、幽霊生(?)を楽しんでいる。なんなら化け方の技術を習得したり、芸を磨くことに余念がない。狐に化けたり、訪問販売の営業力をタッグを組んで底上げしたり、恋人とイチャイチャしたり。とても幽霊とは思えないガッツがあるのだ。

それでもやはり、おばちゃんたちは、生きづらさを抱えてきた女たちであることには変わりない。江戸時代から、今まで、ずっと。今この2018年でもまだ、女たちは生きづらい。息がしづらい。それは私も重々身に染みている。女は死んでからやっと、自分を縛る様々な軛から開放されるのかも知れない。例えばそれは毛の処理とか、性犯罪への恐怖とか、多種多様なかたちで襲いかかるハラスメントとか、いつの間にか差別を内面化してしまっている自分自身、そして親しいひとたちとのちょっとした、でも消すことの出来ない軋轢とか、SNSで目にする「結婚」「転職」「年収」「子育て」すべての責任を女に取らせるようなウンザリする広告とか。
私もこんなエネルギッシュな幽霊になって、のびのび生きたい(?)。そんなふうに思えるほど、この小説に出てくるおばちゃんたちは生命力(?)をみなぎらせて、ぐいぐいと、たくましく生きている(?)。

 

 

 クズハがOLをしていたときと、社会はだいぶ変化した。今では、男でさえ正社員になるのが難しいらしい。悪い意味で、平等になった。女が上がらず、男が下がってきた。かつては女にしか見えなかったはずの天井が、この青年にも見えていることがクズハにはわかった。
 ねえ、驚いている?話と違うって思った?でもねえ、女たちは小さな頃からずっと、その天井が見えてたの。見えなかったことなんて一度もないの。でも、皆それでも生きてきたし、なんとかなるわよ。
「クズハの一生」p.120-121

 

数は少ないけれど、本作には男性も登場する。その誰もが、若干うだつの上がらないような風貌で、リストラされたり、就活がうまくいかなかったり。彼らもまた、女たちと同じようになにかに縛られている。でも、その自分を縛っているものが「女」ではないということに気づいている人は、この世には本当に少ない。

 

 

 ある側面では、女と男の絶望の量がもうすぐ同じになる。もしかしたら、その方が生きやすい世界になるかもしれない。
「クズハの一生」p.121

 

中頃まで読むとおばちゃんたちの属する謎の組織の実態がふんわりと明らかにされ、そこからの緩やかな伏線回収もとても優しくて、こんな幽霊たちがそばにいてくれるなら、もう少し頑張ってもいいかな、なんて思えてくる。うだつの上がらない男性が、実はキーパーソンだったりもして、ニヤニヤしてしまう。

私も死んだらぜひ、このおばちゃんたちと一緒に働いて、午後にはおしゃべりしながら和菓子をつまんだり、チームを組んで企業内に入り込み売り上げをとことん伸ばしたりしてみたい。若い社員にちょっとイヤな顔をされながらも、良いから食べなさいとみかんを2個も3個もポケットに押し込んだりしたい。

 

そして、もしまだその頃も、生きづらさを抱えて、天井に頭がつかえてしまっている人たちがいるのなら。そのときは幽霊ならではの怪力で、天井を取っ払ってあげたい。

 

おばちゃんたち、は英語でこう表記されている。

The wild ladies。

ワイルドな女たち。野生の女たち。

かつて生きていた女たちとつながっている私たちは、今、ワイルドになることだって出来る。

あとは天井を破壊するだけだ。私はそれは、出来ないことじゃないと思っている。

きっとおばちゃんたちが、手を貸してくれるから。

 

 

おばちゃんたちのいるところ - Where the Wild Ladies Are

おばちゃんたちのいるところ - Where the Wild Ladies Are