“良い夜を待っている”

『鼻/外套/査察官』ゴーゴリ

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ゴーゴリの作品は青空文庫にも入っていて無料で読めたり、いろいろ翻訳が出ている。私が光文社の古典新訳を選んでみたのは、「落語調で訳されている」というのが(賛否両論あるみたいだが)なかなか挑戦的で面白そうだなと思ったから。あと来るべき『死せる魂』に備えて(買ってはあるが積んでいる)助走をつけるべく、ゴーゴリ怖くないよと自分に言い聞かせるため。古典ほどなんだか尻込みしてしまって手を伸ばすのに時間がかかってしまうので、助けて古典新訳文庫!ということでこちらを選んだ。
この選択は正解だったようで、ゴーゴリをとても身近に感じられたし楽しめた。
よし、行ける!(何が)

 

訳者解説によると、落語調なのは今回の訳が初めてではなくて、江川卓がかつて落語調で訳していたとのこと。しかし『外套』の主人公、アカーキー・アカーキエヴィチの名前の「カーカー」という繰り返しがウンコを意味するということから江川氏はこれを「運五郎」と訳していたというのは、いや、面白いが、あまりにもあまりにもだ笑。でもゴーゴリなら腹を抱えて笑ったのかもしれない。

 

特に落語調がぴったりだなと思ったのは「鼻」。突然鼻が取れてしまった男が、鼻を探して奔走するお話。主人公の慌てふためきっぷりと、立派な服を着て堂々と闊歩してゆく鼻の姿の対比も可笑しい。なんとかして鼻を捕まえようとするドタバタ喜劇がいかにも庶民の落語という感じで、これはぜひ噺家さんの声で聞いてみたいなと思った。

 

「外套」は「鼻」とは少し毛色が違って物哀しいお話。貧しい官史がコツコツ貯めたお金で外套を新調して、ウキウキだったのもつかの間、その外套は盗まれてしまう。なんとか取り返そうとするも、お偉いさん相手にバカにされ、邪険にされて結局は取り返せないまま病に伏せ、死んでしまうのだが・・・という身も蓋もないといえばないお話。

 

「査察官」は戯曲。これはなんだか乗り切れずに流し読みしてしまった。

 

貧しい庶民の生活をユーモアを交えて描きつつ社会を痛烈に批判、という読みもあるようだが、私が抱いた印象としては荒唐無稽な不条理漫画。大爆笑、というよりか一歩引いて苦笑、という感じ。読後にしみじみと一節を思い出すというよりかは漫画のコマのようにイメージがパッパッと断片的に思い出される。解説で初めて知ったが、ゴーゴリ自身の人生も、まるで漫画のようでびっくりした。作品が評価されずに三度も原稿を燃やし、教授の職につくも支離滅裂な講義しかできず、しまいには狂信者となり断食、悪しき血を抜くために半ダースものヒルを鼻につけて(!!)亡くなる、というえげつない最後を遂げている。

 

また、ゴーゴリは女嫌いで有名だったようで、この作品集もすべて男性が主人公。女性を描けなかったゴーゴリ、というのを踏まえると以前読んだの「ゴーゴリの妻」が皮肉たっぷりであらためて苦笑してしまう。

 

www.yoiyoru.org

 

自身の人生をうまく正当化できずおそらく肯定もできなかった彼が生み出した苦肉の策がもしかしたら、妄想大爆発、奇想天外どんとこい、でもやっぱりちょっと哀しさがある「おかしなお話」だったのかもしれない。うまくいかない人生は、「おかしなお話」にしてしまうことで少しだけ自分と切り離せて楽になるから。

 

ゴーゴリほどではなくても、生きていくってやっぱりつらいし、そのつらさは笑い飛ばすにもなかなか重たくってうまいこといかない。斜に構えて無理矢理にでもニヤッとしないとやっていけない、そんな気持ちのとき、ゴーゴリの作品はぴったりなのかもしれない。つらいのは全然なくならないけど、少しだけ客観視できて笑えるようになるかも。

 

 

第一、こんな話はお国のためにならない、第二に・・・・・いや、この第二にというのが、まったくもって益がない。いや、ほんと、あたしにはチンプンカンプンで・・・・・・。
とはいうものの、たしかにどれもこれもおかしなことばかりです。どれもあり得ることじゃあない・・・・・・でも、どうです、世の中には間尺に合わないことってあるんじゃないですか?つらつら考えてみますってえと、この話には、たしかに何かある。誰がなんと言おうと、こういう出来事ってのは世の中にはある。滅多にあるわけじゃございませんが、ある話でございますな。
「鼻」p.66

 

鼻/外套/査察官 (光文社古典新訳文庫)

鼻/外套/査察官 (光文社古典新訳文庫)