良い夜を待っている

読んだ本の感想など。最近はPodcastで配信しています。

“良い夜を待っている”

『若い読者のための短編小説案内』村上春樹

 

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村上春樹は良い読み手だ。


著名な作家が良い読み手とも限らないが、この本を読んで改めてそう思った。これまで読んできた村上作品の血肉となっているのは主に海外文学(サリンジャー、チャンドラー、フィッツジェラルドなど)だと思っていた。それは確かにそうで、彼自身が「十代のはじめから二十代、三十代にかけて、だいたいにおいて外国の小説を読む、それも多くの場合英語でそのままがりがり読むという体験を通して、日本語の書き方を自分なりに確率してきた人間です」(「まずはじめに」p.29)と言っている。日本の小説のあまりよい読者ではなかった、小説を書き始める前は読んできた数も少なかったと語る彼が本作で取り上げるのは「第三の新人」と呼ばれる作家たちが書いた戦後日本の短編小説。

なのでこの本を知ったときとても驚いた。あのガイブンかぶれ(失礼)の村上春樹が?日本の小説を?しかも戦後の私小説まわりの作家で!?どれどれじゃあ読んでやろうじゃないの(上から)と思って読んでみたらいやはや、さすが小説家として食っているだけのことはあり(失礼その2)その読みの鋭さ、独自性に感服してしまった。

 

先に言っておくとわたしは「今の」村上春樹の著作は全然好きではなくて、何度もツイッターで言っているが『1Q84』を読んで怒り狂い、本を投げつけそのまま古本屋に売った(新刊だったので高く売れた)のを今でもよく覚えている。なので、好きな作品は初期のものだし、何度も読んだものといえば『ねじまき鳥クロニクル』くらい。これは高校生くらいのときに読んで、この本がきっかけで村上春樹にハマったのだけれど、『1Q84』でもうダメだな、と見切りをつけてしまったので『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』以降の新作はほぼ読んでいない。ただ、村上春樹の翻訳は好きで(サリンジャーだけは好きすぎるためどうしても村上春樹では読みたくないので読んでいない)カーヴァー、チャンドラーの作品は全部村上春樹訳で読んできているし、新潮文庫の企画「村上柴田翻訳堂」のシリーズにも楽しませてもらっている。だから、彼の海外文学への造詣と翻訳力、選書力に関しては敬意を抱いているものの、彼自身の著作はもう好きではないし、ときおりハルキストたちが新刊などで盛り上がっていると「ハン!」と斜に構えてしまう。おそらく新しい著作を読んだとしても絶対に穿った見方をしてしまうだろう。


・・・という清く正しい(正しいとは?)村上ファンでは全然ないわたしが読んでも楽しめたので、ぜひ同じように村上春樹に対して「ハン!」という印象を持っている方はぜひ読んでみてもらいたい。正直、わたしは本作を読んで村上春樹の評価が20くらい上がった。
偉そうで長すぎる前置きはこれくらいにして、わたしが良かったなと思うところは以下。

 

■「書く側」の視点
これは職業作家ならではの視点で、すごく新鮮だった。「なぜこう書かれているのか」ということに対する切り口は、それこそ文芸批評の理論書を読めば数多くの分析方法があることがわかるが、それとは別に、同じ作家だからこそ言える、作家としての経営方針の話(どのスタイルで書いていくか)、つまり戦略的な作品作りという点から分析しているのが興味深い。同業他社の研究は文学の世界においても重要なのだな・・・。

 

■短編小説ならではの面白さ
短編を読むときと長編を読むとき、それぞれ使う筋肉、つまり読書筋はやっぱり違う気がしている。単に短距離走長距離走かというだけではなく、濃縮された短いページ数の中でどれだけ枝を広げられるかとか、「書かれなかった部分」をどれだけ楽しめるかというところなど短編の醍醐味だと思うし、詩を読むときに使う詩筋とも似たところがある。本作では短編に特化した筋トレ方法というか、楽しむ方法を課題本を通して具体的に提示してくれている。

 

 

「精神的な筋肉のツボのようなところを、ぎゅっと効果的に押さえることができます。それは短く深い夢を見ることに似ています」

(「僕にとっての短編小説」p.21)

 

わたしは鈍器本を持ち歩くモチベーションが保てないので通勤時のお供に短編集を選ぶことが多くて、新しい作家を発掘したいなというときや、ちょっととっつきづらいなと思う作家は短編集から入ったりすることもある。単に鈍器本と並走する体力がないんだろという内なる指摘は無視するとして、同じ作家でも短編だと「おうおう好き勝手書いてやがんな、いいぞもっとやれ」と思うこともしばしば。短編独自の自由さというのは作家にとってもあるみたい。

 

 

短編小説を書く喜びについて:「ひとつの場所を作って、用意して、アイデアなり情景なりにその中を自由に動き回らせてあげること。その自由さを作者自身も楽しむこと」

(「僕にとっての短編小説」p.19)

 

短編だから手を抜いているとかいうことではなく、良い意味で自由な羽ばたき方を読者も作家も楽しんでいるならそれってすごく幸せなことじゃないだろうか。

 

■自我(エゴ)と自己(セルフ)の関係
自意識に主題を据えて長編小説を書いてきた村上春樹らしいっちゃらしい観点。ほぼすべての章の最後に自我と自己の分析図のようなものを載せていて面白かった。こういう心理的な図ってなぜ円形で表されるのだろう?という素朴な疑問は私が勉強不足なだけですね。

 

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本作は大学などでの講義をもとにしているので口語体で読みやすい。また、「若い読者のための」とか、「中高生のための」と銘打たれた作品は、平易な文章でも内容はその分野の第一線で活躍している人がガチで書いているものが結構ある。

本作も、それらの名作のひとつだろう。

 

若い読者のための短編小説案内 (文春文庫)

若い読者のための短編小説案内 (文春文庫)